ここのところ、マスメディアが騒いでいたのは、伊東市長である田久保真紀に対する学歴詐称の疑惑についてである。内容は、田久保真紀が東洋大学を除籍していたのに、「東洋大学を卒業した」と嘘をついて選挙に臨み、市長に当選してしまったことに端を発する。
何者かが「田久保真紀は東洋大学を除籍している」と投稿したため、事件が明るみになったのだが、問題が大きくなったのは、単に経歴詐称の疑いがあったからではなく、田久保真紀が事件が公になった後も、自分の非を認めず、意地でも市長の座にしがみつこうとする態度に問題があったと思う。
もし、経歴詐称が明るみになった段階でお詫びし、一旦市長の座を辞職していれば、ここまで騒ぎにはならなかったかもしれない。意地でも市長の座にしがみつき、市が立ち上げた百条委員会にも非協力的な態度をとり続けたため、結果的に刑事告発はされるし、市議会が不信任決議を可決する羽目にまで発展した。
田久保真紀を見ていると、どうしても兵庫県知事の斎藤元彦を思い出さざるを得ない。斎藤元彦もさまざまな問題を抱えているが、彼も自分の非は一切認めず、マスメディアの追求もテンプレート回答で交わし続けている。斎藤元彦の存在そのものが、日本の首長に与えた影響は少なくないと思っている。つまり、悪いことをしても非を認めず首長の座にとどまり続けるというスタンスを取ってもいいという考え方を印象付けてしまったように思える。兵庫県だけでなく、沖縄県南城市の市長におけるセクハラ問題も同様の経緯を辿っていると聞いている。
今回、伊東市議会が市長に対して不信任決議を可決したことで、次は市長辞任か議会解散になるだろう。余計な税金が使われることになるわけだが、非を認めない首長に対しては、粛々と取れる対応をとって追い込んでいくしかないと思う。伊東市民には混乱が続くことになるが、願わくばより正しい選択を選挙に於いてしていただきたいと思っている。