昨日の朝、ネットの通知で立花孝志が逮捕されたと聞いてから、情報を一日中漁り続けていた。選挙ウォッチャーちだい氏のツイキャスは見たし、YouTubeのArc Timesや望月衣塑子とオッカ君チャンネルなど様々な媒体で情報を得ていた。流石に夜になると、情報が集まってきて、こちらも安堵していたのだが、立花孝志が逮捕されたのは、どうも選挙資金調達のために出かけたドバイへの渡航が、兵庫県警から「逃亡、証拠隠滅の恐れあり」と判断されたことのようである。でなければ、在宅起訴でも良かったはずなので。
普段は立花孝志の喚く「偏向報道だ」とか、名誉毀損で裁判沙汰にする、とかの行為に逃げていたマスコミも、逮捕されるともう攻撃されることもないだろうからか、どんどん報道していて、手のひら返しが強いなとは思っていた。
そんな中、僕は先日読み終えた山崎雅弘さんの著書「ウソが勝者となる時代」を思い返していた。もちろん、この本では1章を使って立花孝志の放つウソを事実に基づいて否定しているのであるが、僕が思い出していたのは、「ウソが勝者となる時代」に争うのに疲れて諦める、ということはしてはいけないのだ、という説明のところである。争うのに疲れたら一旦は逃げてもいいが、時が塾したら再び争うことは必要である、とは書いてあった。
僕もここ数ヶ月以上、立花孝志に対して批判的心理を持ち合わせていて、精神的に疲れたところはあったが、それでも選挙ウォッチャーちだい氏が福永活也弁護士の標的になり、弁護士費用が足りない、とSOSを出した時には資金援助を僅かではあるがしたし、亡くなられた兵庫県議の竹内英明さんの遺児に対する基金についてもわずかではあるが応援していた。
昨日の立花孝志の逮捕は「ウソが勝者となる時代」においてカウンターになったのか、考えてみたのだが、第一歩としてはカウンターになっているとは思う。もちろん、立花孝志フォロワーのへずまりゅうだとか参議院で会派を組んでしまった自民党とか、そもそも二馬力選挙で兵庫県知事の座にいる斎藤元彦とか、そのほかにもカウンターを喰らわせなければならない人たちは大勢いる。
立花孝志が壊した日本の倫理観を修復するのは容易ではない。でも、立花孝志が逮捕されたという事実は、まだ時代の揺り戻しが起きうる可能性が大きくなってきたという表れのような気がしてならない。
僕自身の信念と、勇気がどこまで通用するかはわからないが、これからも気になったことがあればここで発信をして、自分の意見は述べていくようにしたい。
