佐野元春、「それを「希望」と名づけよう」の英訳詩を発表

昨日、ファンの方々に向けて、そしておそらくは被災者に向けての詩を発表した佐野元春が、今日になって、英語訳詩を追加で発表した。山内あゆ子さんという方が英訳をしたもので、これで世界に向けて発表したことになる。昨日最初にこのエントリーをした時、ファンである僕としては、無条件で賞賛する記述をした。しかし、その後2ちゃんねるの書き込みを見ていると批判の声ばかりで、僕としては戸惑ってしまった。2ちゃんねるは時として悪意の塊になることがあるが、それでもあまりの批判ぶりに僕としても自分の判断が正しかったのか迷ってしまい、内容を修正して詩を全文載せることで見てもらう人に判断してもらう方向にした。そして、今日公式サイトを見て、新たに英訳詩が掲載されたことを知って、僕の最初の判断は間違っていないのではないかと思うようになった。確かに分かりやすい詩ではないと思う。読む人によっては批判が出る可能性も否定はしない。でも佐野元春としては、こういうパフォーマンスでファンや被災者、そしてそれをただ見守るしかない人々に向けて何かを発信しなければという衝動に駆られたのであろう。何回も詩を読んで、今、僕はこの詩で希望という言葉に何か意義深いものを感じたことを告げたい。

コメント

  1. 大猫 より:

    こんにちは。この詩は色々な要素が盛り込まれてあってわかりにくいんですが、大きくは生き残った人に、サバイバーズ・ギルティ(生き残ってしまった人間の罪悪感)を持たなくていいと言っているのだと思います。家族や友人を失うと、その原因が災害でも病気でも、生き残った者は「どうにか救えなかっただろうか」「自分があの時ああしていたら」「私には何の価値もないのに私だけが生き残ってしまった」と大きな罪悪感に襲われ、大切な人を失った喪失感も加わり、かなりの期間、“死人”のようになってしまうケースがあります。私もそうです。こうした詩が震災直後に出るのは随分早いなという気もするのですが、どうも佐野さん本人が(「月と専制君主」もそうですが)最近、大切な人の「不在」(後にどう生きるか)を自らのテーマとして色々と考えていた、その反映があの詩に表れているのではないかと推察します。

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