母、逝去

昨日、母の危篤に立ち会った。昨日の段階では、親族がずっと集中治療室にいることができないこともあって、一旦家族毎にそれぞれの家に戻ったのだが、やはり母のことが気になって、落ち着いていられなかった。

一応は夕食を食べ、入浴もし、薬を飲んで22時には就寝したのだが、眠りの質は悪く、1時間毎に目を覚ましていて、深夜2時からはもう寝ていられなくなった。深夜2時に目が完全に覚めたということは、母の容態に変化があったのを肉親である僕が察知したのかな、と個人的には思っている。

深夜3時過ぎにiPhoneに父から電話があった。母の容態が悪化しているのですぐに来て欲しいとの病院から連絡が入った、とのことだった。父は車で病院に行くと言っていた。僕は、車は持っていないのでどうしようと思ったが、とりあえず着替えて駅まで出た。しかし、早朝4時では電車は動いておらず、駅前にタクシーもいなかった。

iPhoneでタクシー会社を探して電話をかけたところ、なんとか2社目のタクシー会社で配車の手配をしてくれて、駅のロータリーまで来てくれるという。それで数分駅のロータリーで待っていて、迎えに来てくれたタクシーで病院に直行した。

4時半過ぎに病院に着いたのだが、その時には母は息を引き取っていた。ただ、親族が集まって、医者が死亡確認をしないと、逝去とはみなされないそうなので、僕の到着を持って父と僕が立ち会い、4:58に母の正式な死を確認した。

そこで悲しんでいる場合かというと、そんなことはなかった。昨日も書いたように母は特別養護老人ホームでショートステイをしている最中に心肺停止状態になったので、死亡場所が特別養護老人ホームということになり、警察が母の死亡原因を特定するために、遅れて到着した弟も含め、父と僕、弟が警察に母の容態や僕や弟の勤務先、その他様々な事柄を聞かれることになったのである。そればかりか、母の遺体は一旦警察が引き取り、検死をしてから死亡原因を特定し、初めて死亡診断書を書くという段取りになることになった。

警察の調書は病院の看護師や特別養護老人ホームの介護士まで及んでいるので、相当な時間がかかった。朝の8時ぐらいまで警察の質問に答えながら、遺体安置室にいた。

8時過ぎに警察の質問内容も終了し、母の遺体を検死するために警察署に運び出すことになり、それを持ってようやく病院を後にすることができた。ただ、警察が母の遺体を検死し終わったあとは、遺体を親族が手配した葬儀屋で運んで欲しいという話があったので、仕事に戻った弟と別れた父と僕は、我が家の一族が眠る墓のあるお寺に行き、お坊さんと遺体の引き取りとか葬儀の段取りについて話を交わした。

その後、ようやく実家に父と戻り、10時半に遅い朝食と飲み物にありつけた。父も気が抜けた状態ではあったが、やることはまだまだある。それはこなしていた。でも、僕と会話を交わすことで僕もそうだが、悲しみを癒している部分はある。

昼食を食べたあと、一旦僕は家に戻ったのだが、戻る途中で父からの電話で「今日中に遺体を引き取るように、と警察から葬儀屋に連絡が入った」との話である。結局、遺体は今日は葬儀屋が引き取ってくれるそうだが、明日、実家に遺体が戻ることになったので、明日は実家に行くことになる。時間はまだわからない。父がお寺さんと調整をこの後するようなので、その決定の連絡を持って明日の行動になる予定である。

ということで、母の死を悲しんでいるだけではなく、やることがいっぱいあるので、慌ただしいのが実情である。今日、このあとは父の電話の連絡次第ではあるが。

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