
一昨日の金曜日に、「この世界の片隅に」の片渕須直監督の舞台挨拶とサイン会付き上映会のチケットを確保できたことを書いた。そして、当日の今日、109シネマズ川崎まで足を伸ばして、「この世界の片隅に」を6年ぶりに再見した。
金曜の朝にチケットを予約した時に、「チケット余まくり」と書いたが、上映間近になった今日の昼の段階で空席が5-6席残っているだけにまでチケットは売れていた。予想以上に人々の関心を集めたと思う。

今年は戦後80年の節目の年でもあるし、映画の中のことで言えば、主人公のすずさんが100歳を迎えた年にもなるという。昭和でいえば昭和100年というのが今年である。その節目の年にこの作品がリバイバル上映されることの意義は大きい。

2016年にこの映画が公開された時は、この映画で描かれた世界と僕らが生きている世界は地続きである、というテーマがあった。しかし、今回のリバイバル公開に際して片渕須直監督がインタビューで答えているように、初公開から9年しか経過していないのに、現実の世界がこの映画の世界と同一化してしまったことに、僕自身衝撃を受けているし、なんとかしなくては、という焦りのようなものを感じている。
そうした観点でこの作品を改めて見ると、テーマが重たい。日本が誤った観点のもと起こした戦争と、その犠牲者でもあり、加害者でもあるすずさんの民意に順応してしまっている生き方を、この映画が現実の世界の写像のようになってしまっている点で、リアリティがこれまで以上に大きくなってしまっている。ぼーっとして生きてきたすずさんは罪がないように見えるが、今の世相を見ると、そのような生き方そのものが罪なのではないかと考えるに至った。
先の参議院選挙でも日本を戦争以前の体制に戻そうとする政治団体や、勇ましいことを吹聴する候補者が多数現れ、僕もそうだが多くの人が批判をしているが、この状況はかなり危険である。この「この世界の片隅に」もそうだし、その他の反戦映画でも見て、考え直す必要があると痛切に感じている。
映画の後は、片渕須直監督の舞台挨拶があった。昨日はのんさんと二人で舞台挨拶をしたという話から始まって、すずさんが生きていれば100歳という話や、片渕須直監督が昔元住吉に住んでいたという話、すずさんが周作さんと話をする相生橋の話、映画や原作漫画には謎が色々隠されているという話、そして、一つの謎の例として、映画の冒頭ですずさんが健脚なのにも関わらず、江波から中島本町までバスを使わずに徒歩と船で行ったのはなぜか、バス代を調べてみて欲しい、という問いかけもあった。バス代については調べたらどうも10銭もかからないらしいことはわかったので、すずさんがもらったお小遣いからしたら、バスに乗らないでお小遣いを貯めようとしたのでは、と考えたのだがどうだろうか。
舞台挨拶の最後は写真撮影タイムがあったので、片渕須直監督と「この世界の片隅に」のポスターをセットにして撮影させてもらった。
そして、片渕須直監督によるサイン会が開催された。109シネマズ川崎のシアター4は172人収容で、その8 割ぐらいはサイン希望だったので、サインの順番はしばらく待った。僕の番になって、「金曜にXで告知したこと」や「呉に実際に行ってすずさんの家を探り当てたこと」などを話させてもらった。サインもいただけたので、感無量である。
映画は劇場にもよるが8月15日まで上映しているところが多いようである。まだ見ていない人は、これを機会に鑑賞してほしいと切に願う。