新世紀エヴァンゲリオン劇場版 第25話「Air」/第26話「まごころを、君に」

第25話「Air」

カヲルを殺したことで極度の自閉に籠るシンジ。ミサトやレイに恐怖し、心身崩壊状態のアスカに頼るだけの状態だった。最後の使途が消えたことで、ゼーレは人類補完計画を発動させる。それにはまず邪魔なNERVを排除する必要があった。戦略自衛隊を動かし、NERVを総攻撃する。シンジやアスカにも危機が迫っていたが、アスカはATフィールドの意味を理解し、奇跡的に復活する。そして戦略自衛隊をエヴァ2号機で撃破する。そのエヴァ2号機に量産型エヴァが襲いかかる。

第26話「まごころを、君に」

ミサトによって生かされたシンジは、エヴァ初号機に乗るが、エヴァ2号機の惨状を目のあたりにし、世界を拒絶する。そしてロンギヌスの槍がエヴァ初号機を依り代として人類補完計画を発動させる。人々がLCLの液体に返り、個を失っていく中、シンジは一人世界の行く末を拒んでいた。

TVシリーズではスケジュールや、監督の意図により描かれることのなかったもう一つの最終回が、この劇場版新世紀エヴァンゲリオン 第25話「Air」と第26話「まごころを、君に」。TVシリーズでは碇シンジの心のありようを中心に描いていたが、実は劇場版でもその展開はあまり変わっていない。第25話「Air」は、かなりのスペクタクルで、アスカの奇跡の復活と活躍、ミサトやリツコの生死の行方、そういった話を中心に描いてはいるが、主人公のシンジは何もしないで、ただ「死にたい」と願うばかりである。生きる希望を失ったシンジが自分の意志を持ってどう世界を変えていくかが、第26話「まごころを、君に」で描かれているが、TV版の最終回「世界の中心でアイを叫んだけもの」をもう少し丁寧に描いたもので、シンジが他者を拒みながらも他者なくては生きていけないということを悟る部分が、同じ展開だと思う。自分の存在を認めること、夢は現実の続きだと気づくことが、TV版の主張をより強化しているのではないかと思う。ラストは監督の庵野秀明の知人の話からインスピレーションを得たらしいが、アスカの「気持ち悪い」という台詞は意味深である。シンジが気持ち悪いのか、世界が気持ち悪いのか、どうとでも取れる台詞である。

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