母の葬儀と火葬まで無事終わる

木曜から、ずっと母の死にまつわる話を書いてきているが、一応今日で目処はついたので、一旦は最後の書き込みにする予定である。もちろん、遺産相続の話を片付ける仕事はあるのだが、今日、母の葬儀と火葬まで終わったので、一区切りついたかな、とは思っている。

昨晩は睡眠の質はあまり良くはなく、朝5時には起きてしまった。母の葬儀は昼からだったので、時間を持て余していた。なので、起きてから洗顔をして、何日かぶりに朝のウォーキングに出かけた。母の死に対するストレスを少しでも緩和しようという思いもあった。

ウォーキングから帰ってきて、朝食を食べ、ネットを見たりしていた。思いつくことがいろいろあり、それらに手を出していたら、家を出る時間になった。母の葬儀に出るため、何年かぶりにスーツを着て、これまた何年かぶりにネクタイを締めた。革靴を履いたのも何年かぶりである。ネクタイを自分で締められるかな? と不安もあったが、締め方は記憶していたので、きちんと締められた。

実家には早く着いたので、父にコーヒーを入れてもらい、話をしながら葬儀屋さんが来るのを待っていた。昨晩一晩、母の遺体は寝室で寝かせていたので、遺体をお寺さんに運ぶためである。

葬儀屋さんが来る頃、弟から連絡があり、姪がトイレに行きたいので実家に行くから待っていて、と言われたので、父に対応してもらった。僕はというと、葬儀屋さんと共に母の遺体を霊柩車まで運び、霊柩車に乗せた。昔、父の母、つまり僕にとっては祖母の遺体を持ったときにも感じたのだが、死者の体って重いのだな、と改めて思った。霊柩車は一足先にお寺さんに移動し、姪たちがトイレを済ませるのを待ってから、皆でお寺に向かった。

お寺でしばらく待機の時間があり、昼から葬儀をとり行った。今日の葬儀は初七日も一緒に執り行うということなので、合計で1時間かかっている。全員椅子に座り、お坊さんの読経を聴きながら、母の冥福を祈った。葬儀の間、2回ほどお参りをする機会があり、その度に母の冥福を祈っていた。今回は椅子に座っての葬儀だったのだが、それでも腰が痛くなった。座布団に座っていたら、足が痺れて大変だっただろうと思う。

葬儀が終わった後、母と最後のお別れをして、棺桶に花をたくさん入れて、棺を締めた。それから、僕と弟が棺桶を運ぶ一役を担い、姪とかが位牌や遺影を運んで霊柩車に乗せた。霊柩車を先導にして火葬場まで移動した。

火葬場でもお坊さんが最後の読経をして、それから火葬に入った。火葬には1時間かかるというので、待機室で待機していた。父が姪たちに「アイスクリーム食べよう」と言ったので、家族全員でアイスクリームを食べて、少し時間を潰していた。父が母の思い出をいろいろ語っていた。

1時間後、火葬も終わり、残った母の骨を骨壷に収めることになった。思っていたよりも骨が残ったな、という印象であった。燃え残った骨を全て骨壷に入れて封をし、納骨の日まで実家で保管するというので、僕が骨壷を実家まで持ち帰ることになった。

火葬場を後にして、実家に戻った。火葬場でお弁当の手配をしてくれていたのだが、火葬場の待機室では食べずに、実家に持ち帰ってから食べることになっていた。それで、もう車の運転はしない父と僕は、ビールを飲み、他の家族はお弁当に箸をつけた。お弁当はお寿司とおかずであって、なかなか美味しかった。

その後、また、いろいろな話をしてから、18時近くになって、弟家族は帰宅し、僕もその後、帰宅の途に着いた。帰宅時に僕の部屋にあったアナログレコード2枚を腕に抱えて、帰ることにした。

今は家にいる。役所関係の手続きは父が休み明けにするから、とりあえずは僕や弟は手伝わなくてもいい、とは言われている。僕は、何かあったら電話して、対応するから、と話している。で、次の土曜日に父に電話をするから、と話してはある。父も母を失って、気力が抜けているだろうから、元気づけのつもりである。

僕自身も、今日の葬儀と火葬が終わって、張り詰めた気が抜けた感はある。母を失った喪失感もある。ただ、昼間、母をお寺さんに運ぶときに、実家の近所の飼い猫を見かけた。人懐っこい猫で、なんか心が和んだ。なんとなくだが、母を失って空いた心に若干の癒しを与えてもらった気分はする。明日は、今のところ予定は何もないので、母を失って受けた喪失感を感じながらも、張り詰めていた気を緩めてみたい。

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