カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン著「オッペンハイマー」下「贖罪」ハヤカワ・ノンフィクション文庫

クリストファー・ノーランが監督をしてアカデミー賞主要部門を制した話題作「オッペンハイマー」の元ネタになった原案本「オッペンハイマー」の下巻が、この「オッペンハイマー」下「贖罪」である。上中下巻と合わせて1200ページを超える大作であるが、ある意味一番読み出したらやめられなかったのが、この下巻である。

下巻のメインの話は、戦後、核兵器が人類に及ぼす影響に憂慮していたオッペンハイマーは為政者たちに核兵器の使用を控えるようずっと進言していたのであるが、時の為政者たちは対ソ連という仮想の敵に対して怯えていたためにオッペンハイマーの提言を聞くことがなかったし、その為政者に取り憑く鷹派はオッペンハイマーを陥れようと暗躍する、という部分になる。

特にメインとなるのは、原子力委員会のメンバーに出世したストローズという男が、オッペンハイマーにバカにされたために、個人的私怨を晴らす目的で、オッペンハイマーがソ連のスパイであるという作り話をでっち上げてオッペンハイマーを陥れる聴聞会を開く部分にある。もちろんでっち上げとは言ったが、上巻や中巻で執拗に描かれているように、オッペンハイマーが共産主義に傾倒していたという事実を利用して彼の発言の矛盾を本来違法であったはずのFBIの盗聴行為を利用してまで、オッペンハイマーを追い詰めていくところにある。そもそもオッペンハイマーが学はないとはいえ、ストローズをバカにしなければここまで追い詰められることもなかっただろうから、ある意味自業自得の部分もあるのだが、それにしてはストローズの私怨の深さに驚きと恐怖感を感じざるを得ない。

そして、オッペンハイマー自身の原爆開発と広島、長崎投下後に思い直した原爆行政に対する矛盾した発言も、興味深いところが多々ある。オッペンハイマーは原爆開発後に起きた惨劇に対して苦悩はしているのだが、それは表には出さなかったため、単に原爆使用に対する非難だけが浮かび上がり、アメリカ大統領、トールマンやアイゼンハワーといった本質をわかっていない政治家からは敬遠されてしまうという悲劇もある。

オッペンハイマーに対する聴聞会は、最終的にはストローズの暗躍が功を発揮して、オッペンハイマーの地位を落とすことに成功してしまうのであるが、オッペンハイマー自身が心身ともひどく疲れさせながらもそれに対して異議を申し立てなかったところも、ある意味不思議であり、オッペンハイマーという人物が理解しきれなかった要因にもなっている。

この下巻ではオッペンハイマーの家族の話も結構詳しく書いてあるのだが、オッペンハイマー夫婦は子供たちに対していい親ではなかった。子育てを放棄している節があり、子供達のその後についても書かれているが、不憫な最後を迎えている。

昨年の12月に輸入盤4K UHD Blu-rayで映画「オッペンハイマー」を鑑賞して「すごい映画だ」と思ったものの、実はあまりに多い登場人物と意図的に仕組まれた時系列のずれのために特にこの下巻で描かれた聴聞会の内容が理解しきれなかったのであるが、上中下巻を読んで、ようやく理解できたと思う。でも、オッペンハイマーという天才的理論物理学者がどういう人間だったのか、読めば読むほど理解しきれなくなってくる。少なくとも原爆開発の父として広島、長崎に惨状をもたらした加害者としての立ち位置には一部はあるものの、実際加害者としての立ち位置が強かったのはトルーマン大統領だし、ソ連のスパイとでっちあげられる聴聞会のシーンは可哀想な立ち位置にいる。あまりに大量の情報が上中下巻で提示されるので、オッペンハイマーという人物が分かったようでさらに分からなくなったというのが本音である。

それでも、映画「オッペンハイマー」が劇場公開する前に原案本の「オッペンハイマー」を読み切ったので、IMAXシアターに観にいく時にストーリーを混乱することなくじっくり鑑賞できる状態が整ったとは言える。原案本の本書を通じて、クリストファー・ノーランがどう演出をしていったのか、改めて鑑賞したいと思う。

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